My Bike…(1-2)

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↓の1号機の話の続き・・・。

My Bike…

はじめはノーマルで乗るイメージだったのが、なんだかんだと『セパハン・バックステップ』という定番な方向へ・・・。

どれも、このお店で譲ってもらった中古パーツ。
ライトもトップブリッジも、オイルクーラーも。。

こんな経緯(いきさつ)で気がつけば《カフェレーサー乗り》になってしまった。。。
もともとそのつもりじゃなかった筈なのに、
いざ《カフェレーサー乗り》になってしまえば『遅く走る訳にはいかない!』となるわけで(若かくてバカだったわけですよ。。。)
『限界で何キロまで出るのか?』『バトル(死語だね・笑)仕掛けてくる「走り屋」さんのバトルを「走り」以外でも買ってでてみたり。
こんなところには書けることも、書けないような事も、本当にたくさんあったわけですが、
そんなある朝、
バイク通勤禁止の当時の勤め先に向う途中


はい。お約束の事故ですね。

車列の最後尾の車に、アクセルONのまま、(80km/hは出てたと思う。。もうとっくに時効だから書いても大丈夫だろう…)突っ込んだ。

幸か不幸か、単車は左に抜けてて、自分の右足で車の左バンパーだかテールランプに膝の下辺りで蹴り喰らわした形だったようだ。

なので、単車自体はシャーシ関係には損傷なく外装関係のみ。。

しかし、自分の方は、、当たった脛の骨は大丈夫だったものの、股関節脱臼骨折、足首キョコツ断裂、坐骨神経ザメツというなかなかな結果に。。。

この坐骨神経ザメツがきつかった。。

右足の後ろ側は感覚もおかしいけど、何より完全に麻痺してしまった。。

一週間ほどで右足裏側の筋肉は全て無くなり、足の指は爪先がそっくり返って戻せない。

とはいえ、脚が繋がっているだけまだマシで、千切れててもおかしくない事故り方だった。。。

でも、この入院中に、いろいろと見つめ直す事が出来たのも事実だった。。。。

主治医からは右足の麻痺は諦めてくれと言われてたし、

もうバイクに乗ることは不可能だと思ってた。

救急搬送されたときには『事故で死ぬのは絶対いやだな・・・』と、つくづく思った。

けど、、このまま自分の生活から「単車」「バイク」が無くなるのは受け入れられなかった。。。

車椅子でもいいから、メカニックになろうか・・・?とか、真剣に考えるようになった。

3ヶ月入院し、退院した後も社会復帰には程遠く、自分の過失の事故なので保険もほとんど無く。。。

今日はここまで、続きは追記するとします。

数ヶ月経てバイク屋さんから家に引き上げてきた。

それから自宅の外に椅子を出して座り込みでコツコツ自分で直していった。

↑ 2001年ころ、藤沢の川名のスタンドで。。

つづく。